平将門の首塚にまつわる都市伝説

平将門の首塚をご存知ですか?
東京のビル群の中にひっそりとたたずむように平将門の首塚はあります。

なぜ東京のど真ん中に首塚があるのでしょう。それは1000年以上昔の平安時代までさかのぼります。

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平将門は当時の天皇(桓武天皇)と関係の深い豪族でした。それもあり平将門は現在の、茨城県・栃木県・千葉県などを中心とする関東地方一帯を支配するようになります。

やがて将門は関東地方の支配だけでは物足りなくなり、常陸の国(現在の茨城県坂東市岩井)を中心とする独立国を造ろうと画策します。このことが桓武天皇の怒りを買うことになります。

平将門は朝廷の敵とみなされ、独立国を誕生させることなく討ち取られてしまいます。将門の首は京に送られ晒されることに。しかしその首は目を見開き「我が五体何れの処にかあるらん。首継いで今一戦せん。」と叫び、自らの胴体を探して首が飛び去ったと言われています。

その首が落ちたところが現在の首塚(千代田区大手町)だったのです。当時その周辺に住んでいた人は祟りを恐れて、将門の首を祀るための首塚を作ります。将門の首塚はその後1000年近く、供養され続けてきました。

そして時は過ぎ大正時代。
関東大震災が起こり被災した大蔵省を建てるために、将門の首塚を更地にします。その結果、大蔵大臣や大蔵官僚14人が死亡。やむなく工事は中止されます。

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そしてさらに時は過ぎ第二次世界大戦が起きた昭和。
戦争後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が区画整理を行うために、首塚をまたも更地にしました。すると重機が横転し作業員2人が死亡。周辺住人から「首塚がある」ということを聞いたGHQは、祟りを恐れ工事を中止します。

更地にしようとするたびに犠牲者が出る平将門の首塚。このようなこともあり、周辺にたくさんのビルがそびえたつようになった現在でも、平将門の首塚は同じ場所にあるというわけです。

首塚周辺にあるオフィスビルの中では、将門の首塚に背を向けないようにデスクを配置しているとかしてないとか。
そして首塚の前を通るときにも注意が必要です。将門の首塚の前を通るときには素通りは禁物。その後、どんな不幸に見舞われるか分かりません。しっかりと手を合わせて供養するようにしましょう。

最後に爆笑問題の太田の話をさせてください。爆笑問題の太田は、このような話は一切信じません。爆笑問題のブレイク前に、太田は将門の首塚に蹴りを入れたそうです。

その結果どうなったかというと、数年間仕事が入らなかったらしいです。でもこれで済んでよかったですね。命を奪われなかった太田は命拾いしたことでしょう(本人は気づいていないと思いますが)。

あなたは将門の首塚の都市伝説を信じますか?それとも信じませんか?

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