松尾芭蕉の正体は忍者という意外すぎる都市伝説

松尾芭蕉は江戸時代の初期に活躍した俳諧師です。代表作は何といっても「奥の細道」ですね。

奥の細道は芭蕉が、日本列島を旅して俳句を記した旅行記のようなものです。当然当時は車もなければ自転車もありません。歩いて列島を旅行しました。

スポンサードリンク

「夏草や 兵どもが 夢のあと」
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」
「五月雨を あつめて早し 最上川」

などの俳句が有名ですね。

ところで、松尾芭蕉は実は忍者だったんじゃないかという突拍子もない都市伝説があるのをご存知ですか?

実は、奥の細道で書かれた日付と場所を計算すると、1日に48キロも歩いて移動していたことが分かったんです。1日48キロって想像しただけでも、リタイヤしたくなるくらいの距離ですよね。当時は今のような運動靴はないし、道も整備されていません。

そして長旅だったはずなので、相当の荷物を抱えての移動だったと予想されます。しかも、当時の芭蕉の年齢は46歳。人生50年の江戸時代の46歳と言えば、晩年にあたります。そんな中、本当に松尾芭蕉は1日に48キロも移動できたのか・・・

しかし、松尾芭蕉は忍者だったと考えれば納得はできます。

でもこの都市伝説はどこから出てきたのでしょうか。火のないところに煙は立たないので、なにかしらの理由があるはずです。調べてみると、やはり理由が見つかりました。

松尾芭蕉の出身地は近江です。今の三重県伊賀市。そう、あの忍者の国ともいわれる伊賀の出身だったんです。このことが「松尾芭蕉は忍者なのではないか」と噂されるきっかけとなりました。

スポンサードリンク

さらに松尾芭蕉は、関所を何事もないように通り抜けています。当時の日本は関所が至る所にあり、そう簡単に道を通れない仕組みになっていました。いちいち関所で止められていては、1日に48キロも歩くのは忍者と言えども不可能に近いです。

このことから、松尾芭蕉は忍者の中でも、かなり地位の高い人物だったのではないかと噂されているんです。その人物とは・・・

服部半蔵

あの服部半蔵は松尾芭蕉と同一人物だったのではと言われているんです。服部半蔵ほどの忍者なら、関所を素通りできるのも納得だし、1日48キロ歩くのもお茶の子さいさいでしょう。松尾芭蕉が服部半蔵と考えると、すべての謎が解けてしまうんです。

高齢の俳諧師が凄まじい脚力を持つ謎。
服部半蔵の天才的な頭脳の謎。

これらが解けてしまいます。この都市伝説が事実だとしたら、松尾芭蕉のイメージががらっと変わりますよね。信じるか信じないかはあなた次第です。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする